イギリス生まれ、オーストラリア育ちの世界的歌手オリビア・ニュートン=ジョンが2022年8月8日に永眠されました。
1970年代から1980年代半ばにかけて数多くのヒット曲や映画などに出演し、人気を博した一方で乳がんを患い長年の闘病生活を続けられました。
オリビア・ニュートン=ジョンは歌手・女優としても有名でしたが熱心な環境保護活動家、動物愛好家でもありました。
今回はオリビア・ニュートン=ジョンの生涯を振り返ってみましょう。

オリビアの生まれは英国ケンブリッジ
生まれは大学の街ケンブリッジ

オリビア・ニュートン=ジョンの生まれはイングランド・ケンブリッジです。
ご存知ケンブリッジという街は世界でも有名な大学のある街でオリビアの父はウェールズ人でケンブリッジ大学のドイツ語教授でした。
オリビアの母方の祖父はあのアインシュタインとも親しかったノーベル賞受賞の物理学者だったそうです。
父の転勤でオーストラリアに

オリビアが5歳の時に父がオーストラリアの大学に移り家族とともに移住します。
オーストラリアで過ごしたオリビアは14歳の頃から学友とバンドを組んで地元のバーなどで歌い始めました。
そして1965年に出演したオーディション番組で優勝し、その懸賞で英国に戻り1966年に歌手としてデビューすることになります。
下積み時代はバックコーラス

オリビアがデビューし、4年間は下積み時代が続きます。
当時、英国で絶大なる人気を博していたクリフ・リチャードのバックコーラスなども担当しました。
歌手オリビア・ニュートン=ジョンとして開花したのは、1971年にボブ・ディランがジョージ・ハリスンに提供した曲のカバー「イフ・ノット・フォー・ユー (If Not For You)」からでした。
カバー曲がいきなりヒット

カバー曲「イフ・ノット・フォー・ユー (If Not For You)」がヒットしたのをきっかけに彼女はスターの階段を一気に駆け上がります。
彼女の魅力は何と言っても透きとおるような歌声と可愛らしいルックスです。
そしてその人気も後押しして1974年のシングル「愛の告白 (I Honestly Love You)」が全米1位になり、グラミー賞の最優秀レコード賞と最優秀女性歌唱賞に輝くことになります。
1974年にはユーロビジョン・ソング・コンテストに英国代表として出場し4位に輝きます。
翌年にアメリカに移住し「そよ風の誘惑 (Have You Never Been Mellow)」がヒット、さらに1981年はレオタード姿で歌う「フィジカル」が世界中で空前の大ヒットを放ちます。

オリビアの名を不動にした2つの要素
映画「グリース」の大成功
女優としては1978年のミュージカル映画『グリース』が興行成績は大成功を収めました。
この映画で共演した、ジョン・トラボルタとは異性を超越した友人として長年交友関係が続きました。
この映画のサントラからも「愛のデュエット」やアカデミー賞歌曲賞候補となった「愛すれど悲し」、「想い出のサマー・ナイツ」が連続ヒットし押しも押されもせぬ世界的なスターとなります。
当時の日本でもディスコに行くとこの音楽が流れており、リーゼントヘアーの若者が踊る姿がよく見られました。
1980年の映画『ザナドゥ』の興行成績は不発でしたが、サントラ曲「マジック」、ELOとの「ザナドゥ」、クリフ・リチャードとのデュエット「恋の予感」がヒットします。
「フィジカル」が空前のヒット
1981年にはアップテンポなディスコ調の「フィジカル」が全米でビルボード10週連続1位、1982年度の年間チャート1位という爆発的ヒットを記録します。
「フィジカル」は最終的に1980年代の全米チャートで最もヒットした曲となりました。
当時のフィットネスブームも後押しし、ミュージックビデオではレオタード姿でエアロビクスを踊るという強烈なイメージ戦略が見事的中します。
しかし、この歌詞には意味深な部分があり保守色の強いアメリカ南部などのでは、この曲の放送を自粛する動きも見られました。
環境保護活動に寄与
1985年以降の活動

1985年のシングル「ソウル・キッス」をリリースしたのちポーランド人のダンサーであるマット・ランタッジとの結婚生活に入りました。
その後、オリビアは音楽界と若干の距離を置き、環境保護活動などに取り組みはじめ、ユニセフ親善大使もつとめるようになります。
1992年には乳がんと闘病中と公表し、がん治療の啓発活動にも力を入れるようになります。
オリビアは2000年のシドニーオリンピック開会式で「Dare To Dream」を見事に披露しました。
近年の活躍

2012年には約35年ぶりに、ジョン・トラボルタと共演したデュエット・アルバム『The Christmas』をリリースし自身が鬱病との闘病生活を送っている事も告白します。
そして2017年には乳がんが脊髄に転移していると公表します。
2021年秋に、日本政府より『日本国の音楽文化の発展及び友好親善に寄与した功』により旭日小綬章が授与されます
2022年8月8日、長い闘病ののち南カリフォルニアの自宅にて73年の生涯を終えます。
まとめ
今回はオリビア・ニュートン=ジョンの生涯を振り返って見ました。
学者の父と素晴らしい家系の母を持つオリビアは若くして音楽に目覚め、のちに映画女優にまた晩年は環境保護活動やユニセフ親善大使などの様々な活動に寄与しました。
そうした活動が認められ、オーストラリア勲章、大英帝国勲章を受章し、日本でも旭日小綬章が授与されました。
彼女が遺した美しい歌声と華麗な映像は色褪せることなく私たちの記憶に残るでしょう。
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