今も忘れられない悪徳詐欺集団「豊田商事」! 白昼の永野一男会長刺殺事件! | Mayfair

今も忘れられない悪徳詐欺集団「豊田商事」! 白昼の永野一男会長刺殺事件!

仕事とお金

「豊田商事」その名は昭和から平成、令和と時代が移り変わっても忘れられない会社名です。

豊田商事は金の地金を用いたペーパー商法を全国で展開し高齢者から契約を取りつけ、その強引な詐欺手口は連日のように報道されました。

今回は豊田商事という会社と豊田商事会長の永野一男について取り上げてみます。

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豊田商事の詐欺商法

豊田商事の詐欺商法は高齢者をターゲットに金を購入させ、現物は会社金庫に保管するかわりに預り証を購入者に手渡す手口です。

契約者が購入した金は実際どこにも存在せず、預り証という紙切れだけが契約者の手元に残るいわば悪徳ペーパー商法です。

被害者は高齢者を中心に全国で数万人とされ、被害総額は2000億円近くと見積もられ当時の詐欺事件としては最大の被害額になります。

のちに触れますが、1985年6月18日に豊田商事会長の永野一男が大阪市北区天神橋のマンションの一室で事件を取材中のマスコミの目前で殺害されました。

豊田商事と永野一男(永野会長)の生涯

1952年8月1日、永野一男、岐阜県恵那市で生まれる。

1967年、15歳で島根県浜田市に移り地元中学を卒業。

1968年4月、集団就職で日本電装(現・デンソー)に入社、2年で退職。

1970年頃、職業を転々、スリで捕まったこともあった。

1977年頃、永野一男が名古屋市で「豊田商事」の商号により金地金の商品取引開始。

1978年、営業目的を貴金属の販売、有価証券の保有利用等と定め、本店を東京都中央区銀座に置く。実体は金ブラック業者で呑み行為を繰り返し莫大な利益を得る。

1980年7月、同業者が摘発され名古屋支店で取りつけ騒ぎが発生したため、大阪支店に拠点を移す。

1980年8、永野一男が代表取締役に就任する。

1981年3月、「純金等ファミリー契約」販売開始する。

1981年4月、「大阪豊田商事株式会社」を大阪市北区梅田に設立(資本金1,000万円)。代表取締役社長に永野が就任する。

1982年9月、大阪豊田商事株式会社を「豊田商事株式会社」に商号変更する。

1985年、豊田商事の商法が社会問題化。国民生活センターなどにより豊田商事関連の110番が設置される。

1985年4月、関連会社の鹿島商事の外務員が逮捕され、豊田商事の捜査が本格化する。

1985年6月18日、永野が殺害される事件が発生する。

1985年7月1日、豊田商事が破産宣告を受け、破産管財人として弁護士の中坊公平が選出される。

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豊田商事の手口詳細

純金ファミリー契約証券

豊田商事の悪徳手口は、客とは金の地金を購入する契約を結ぶが、現物は客に引き渡さずに会社が預かり「純金ファミリー契約証券」という証券を代金と引き替えに渡すだけです。

このため客は現物を購入するのか確認できず、実態は証券という名目の紙切れしか手元に残らない現物まがい商法(ペーパー商法)と言われるものでありました。

もっとも、豊田商事の営業拠点には金の延べ棒がこれ見よがしに積まれていましたが、のちの捜査によってそれは偽物であったことが判明されました。

契約を取るターゲット

豊田商事の勧誘においてはおもに独居老人がターゲットとなりました。

まずは電話セールスで無差別に勧誘し、脈ありと判断すると相手の家を訪問し、年寄をいたわる好青年を演じます。

家に上がると線香をあげたり身辺の世話をしたり「息子だと思ってくれ」と言って人情に訴えるなど徐々に信用させるところから入りました。

有名企業名を悪用、CMも多数放映

豊田商事は客を信用させるため、有名企業名を悪用してテレビCMを多数放映し、また主催イベントでは芸能人を多数起用しました。

「豊田商事」という社名自体、トヨタ自動車の系列と連想・錯覚させるためにつけられたものです。

そもそも、トヨタを盗用したのは永野一男が中学校を卒業後、最初の就職先がトヨタ自動車のグループ企業である日本電装(現デンソー)だったためです。

同様に関連会社の鹿島商事(後述)も鹿島建設の系列企業を連想させ、ベルギーダイヤモンドはベルギー大使館が儀礼的に発行されるあいさつ文を掲載するといった巧みな手法でベルギー王国と密接な関係があるかのような錯覚をもたらせました。

豊田商事の系列会社による類似事件

時を同じくして、豊田商事が次々に展開した系会社でも、類似の詐欺事件が行われていることが明らかになりました。

鹿島商事

豊田商事の得意とする「金取引」という販売対象物をゴルフクラブ会員権に変え、現物まがい商法に会員権商法を組み合わせた詐欺を行いました。

客が「鹿島商事」を通して購入したゴルフ会員権を「豊田ゴルフクラブ」という別会社に賃貸して、その賃貸収入を得るといる仕組みですが当のゴルフ場は人気が無くゴルフ会員権に資産価値はありませんでした。

ベルギーダイヤモンド

資産価値がほとんどない国内で寄せ集めた屑ダイヤを恒久資産になると騙し、催眠商法の手口も悪用し被害に遭われた方は豊田商事本体と並ぶ数に達しました。

その他の系列会社

海外タイムス – おもな事業は新聞の発行

公共施設地図航空 – 航空会社。

公営競技施設株式会社 – 競輪投票券の販売ですが競輪低迷により実現されず。

インドネシア海軍の機材納入企業の設立(現地側の都合により実現せず)

ハイチ共和国の国軍向け被服工場建設(現地側の都合により実現せず)

大洋商事(たいようしょうじ) – オーストラリアや沖縄に総合レジャークラブを設立し、会員権を売り出そうとしたが実現せず。

白道(びゃくどう) – グループの統括会社。宗教団体を目指していたとも言われた。

銀河計画(ぎんがけいかく) – 「銀河にある星の数ほどグループ会社を作りたい」という思いだったとか。

豊田商事の行き詰まり

豊田商事の売り上げの半分は従業員への給与の支払いに消えていったそうです。

当時支店長クラスの給与ですが、基本給90〜140万+役職手当90万これに支店の売り上げの0.5%が加算されたようです。

残り半分は永野一男個人が先物取引で穴を空けた損失を埋めるのと会社としての事業の失敗によりほとんど消えており、豊田商事には資産と呼べるものは皆無でした。

永野一男個人も殺害されたときの所持金はわずか711円と報道されました。

報道陣の前で会長殺害、被害総額約2,000億円…豊田商事事件の真相に迫る
16日に放送される日本テレビ系バラエティ番組『ザ!世界仰天ニュース』(毎週火曜21:00~)では、巨額詐欺事件・豊田商事事件の真相に迫る。

日本を震撼させた白昼の刺殺事件

現れた2人の男

1985年(昭和60年)6月18日 16時30分頃、大阪市北区にあった豊田商事会長・永野一男の自宅マンションに詐欺被害者の元上司に当たる男2人が姿を現した。

このマンション一室の前には「今日逮捕」との情報を聞きつけてマスコミ取材班が集まっていた。

2人は張り込んでいたガードマンに「永野に会わせろ」と要求し、集まった報道陣に向かって元部下の被害者6人から「もう金はええ、永野をぶっ殺してくれ」と頼まれたと語りました。

まもなく2人は、永野一男が住む部屋の窓のアルミ柵を壊し部屋に突入し、そのうち一人が、旧日本軍の銃剣らしきもので永野一男の全身数か所を刺し死に至らせました。

公開処刑か?

テレビ中継では永野への「公開処刑」および瀕死となった永野の姿が映り、暴力表現に関する議論にも繋がりました。

週刊誌(フォーカスなど)が殺害した犯人と血まみれとなった永野を掲載し、社会的非難を浴びました。

マスコミへの批判も

また事件現場前に多数のマスコミがいたため、各所で「マスコミは凶行を阻止できなかったのか」といった批判も当然ながら多く寄せられました。

当時はこの凶行には心情的理解を示す者も少なくなかったのは、いかに豊田商事の手法と被害が深刻だったのかを語っています。

裁判では「殺人犯」2人に対して「懲役10年、もう1人には8年」という減軽された判決が出た事実の背景には、そのような事情を斟酌されたという見方が大半を占めています。

まとめ

いかがでしょうか。

今回は悪徳詐欺集団「豊田商事」! 白昼に起こった衝撃の永野一男会長刺殺事件!について触れてみました。

当時、被害額最大の悪徳詐欺集団(事件)として報道されましたが、むしろ私達の記憶に鮮明に残っているのは白昼にあった衝撃の永野会長刺殺事件の映像ですね。

その後、この事件により金などの預託取引契約に対して、一定期間内であれば理由の如何を問わず契約を解除できるクーリングオフ制度が導入されました

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