昭和のアイドル桜田淳子! 実は19歳に旧統一教会に入信していた? | Mayfair

昭和のアイドル桜田淳子! 実は19歳に旧統一教会に入信していた?

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エンタメ・スポーツ

1992年の韓国ソウルでの合同結婚式を機に表舞台から消えた昭和のアイドル・桜田淳子さん。

あれから約30年の月日が経ちますが、未だにかつてのファンからの人気は衰えていません。

2022年7月の安倍元首相の銃撃事件で「旧統一協会」が再びクローズアップされています。

今回は昭和のアイドル・桜田淳子さんの生い立ちから芸能界での活動、旧統一教会との関係について触れてみましょう。

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生い立ちと芸能界へのきっかけ

桜田 淳子(さくらだ じゅんこ)さんは1958年4月14日生まれの日本の元アイドル歌手・女優でした。

故相澤社長に見いだされサンミュージックに所属していました。

桜田淳子さんは秋田県秋田市出身で山口百恵さん、森昌子さんとともに花の中3トリオとして注目を浴びました。

花の中3トリオの中でもひときわ華やかで、明るさにおいては他の2人に比べずば抜けていましたね。

また、芸能人水泳大会では脚線美とスタイルの良さがひときわ目立っていました。

父親は十條製紙のサラリーマン

桜田淳子さんの父親は十條製紙に勤めたサラリーマンです。

日本製紙グループ
日本製紙グループのオフィシャルサイトです。

桜田さんが幼い頃に東京の大森に住んでいた綺麗な叔母が話す流暢な東京弁があまりにも耳に心地よく東京に憧れたとのことです。

幼稚園に上がった頃から人前で何かやるのが好きで、小学校では学芸会の常連でした。

桜田さんは「せっかく生まれてきたんだから、秋田にいて平凡な人生は送りたくない。東京へ行きたい」とずっと考えていたらしいです。

小学校6年のとき、将来は「女優になる」と書いたそうです。

スター誕生! - Wikipedia

中学2年のとき、毎週観ていた『スター誕生!』に出場していた森昌子がグランプリに輝いたことに刺激を受け秋田地区のオーディションに申し込みました。

オーディションに見事合格

1972年(昭和47年)7月19日、中学2年生の時に『スター誕生!』の秋田県民会館で行われたテレビ予選では牧葉ユミの「見知らぬ世界」を歌いました。

結果は見事、番組史上最高得点となる573点で合格です。

のちの必須アイテムになる白い帽子をかぶり笑顔を振りまいたのも加点要素となり審査員たちに強烈なインパクトを与えました。

同年の秋にあった決戦大会では、審査員からの評価も圧倒的でグランドチャンピオンを受賞しました。

サンミュージックに所属

ホリプロ創業者の堀威夫の自伝によれば、当初、桜田はホリプロ入りの意向を示していたが、既に森昌子が所属していました。

Sun Music Group Official Web Site
サンミュージック、SUN,MUSIC、森田健作、カンニング竹山、塚本高史、ぺこぱ等の所属タレント紹介、活動情報、ファンクラブ案内。

結局はサンミュージックに所属することになりましたが、桜田本人は、森田さんの所属事務所なら間違いないという、ただ一つの理由でサンミュージック所属を決めたとのことでした。

1972年(昭和47年)10月中旬、大森の叔母宅に住みながら私立品川中学校に転入し、3年時に同じクラスに山口百恵が転入してきて、境遇の似ている二人はすぐに打ち解け親しくなりました。

デビュー曲はオリコン12位

桜田淳子さんのデビューは1973年(昭和48年)2月25日です。

デビュー曲、「天使も夢みる」はビクター音楽産業より発売されオリコンチャートでも12位につけるなど好スタートを切りました。

2枚目のシングル「天使の初恋」もヒットとなり同じ『スター誕生!』出身で同世代の森昌子・山口百恵と共に花の中三トリオと呼ばれ、国民的な人気を集めました。

3枚目のシングル「わたしの青い鳥」は第15回日本レコード大賞新人賞、第4回日本歌謡大賞放送音楽新人賞を受賞し、その年の大晦日には第15回日本レコード大賞の最優秀新人賞にも輝きました

その後、「黄色いリボン」「ひとり歩き」「十七の夏」「夏にご用心」「ねえ!気がついてよ」「気まぐれヴィーナス」「しあわせ芝居」「リップスティック」「サンタモニカの風」などなど、数々のヒットを飛ばし、トップアイドルとしての地位を不動のものにしました。

歌手から女優に転業

女優として才能が開花

桜田淳子さんは人前に立つのが好きで、何としても芸能界に入りたい、東京に行きたいという思いが強く、どちらかと言えば歌手より女優志望でした。

歌手として精一杯頑張っていた桜田さんはコメディーのセンスもあり、特に『8時だョ!全員集合』で見せた志村けんさんとの「夫婦コント」はお茶の間でも評判になりました。

桜田さんの女優としてのキャリアは1975年の映画『スプーン一杯の幸せ』を皮切りに、『遺書 白い少女』『若い人』『愛情の設計』『愛の嵐の中で』と、5本の映画で主演を務めました。

大御所指名の大役を見事演じた

1978年には東宝歌舞伎の大御所、長谷川一夫の指名により、『おはん長右衛門』で初舞台ながら長谷川一夫の相手役を演じたことで、役者としての資質が改めて注目されるようになりました。

1983年に発売された小椋佳作曲のシングル「眉月夜」のリリースを最後に歌手活動を停止し完全に女優業へ転向しました。

その後は数多くのテレビドラマや舞台、映画で活躍し、歌手時代のみならず女優に転向してからも、芸術選奨新人賞を始め数多くの賞を受賞しました。

合同結婚式と芸能活動休止

合同結婚式参加を発表

1992年6月30日、同年夏に行われる世界基督教統一神霊協会(統一教会)の合同結婚式に参加することを記者会見で発表しました。

このとき、桜田さんは統一教会に入信していた姉の影響で19歳頃から入信していたことを自ら明らかにし世間を驚かせました。

1958年生まれの桜田淳子さんが19歳の時どいうことは1977年のことですね。

1977年といえば桜田さんがちょうど「気まぐれビーナス」「しあわせ芝居」を歌っていた頃ですね。

桜田さんはこの記者会見から約2ヶ月後の1992年8月25日にソウルオリンピック主競技場で開催された合同結婚式で会社役員と結ばれました。

この合同結婚式には桜田さんら有名人が何人も参加したことによって、統一教会と脱会した元信者らを中心とする反統一教会側との間の訴訟問題がよりクローズアップされるようになり、テレビでも連日のように統一教会の霊感商法やその被害についても報道されました。

結婚後は福井県に移住

婚姻後は夫の地元の福井県敦賀市に移り住み、その後も桜田が信者の集会や教会関連のイベントで講演したりするたびに芸能マスコミが取り上げ、「統一教会の広告塔」だとして批判する図式が続いていました。

桜田さんが表舞台に出たのは1993年の3月に公開された映画『お引越し』の出演が最後で、1996年12月15日に都内で行われた統一教会クリスマスフェスティバルに出席、以降は一切の芸能活動を休止しています。

2000年4月には夫が経営していた会社を整理し、夫の高齢の母の世話をするため兵庫県西宮市に移りました。

2003年9月、『桜田淳子BOX〜そよ風の天使〜』<完全生産限定10,000セット>が発売されましたが、ブックレットには自筆メッセージを寄せています。

近年は世田谷に転居

2004年には東京都世田谷に転居後も桜田が統一教会関連の集会で時折講演したり、歌を披露している姿が報じられたことなどから、一部で夫は統一教会の幹部になったという無署名記事を掲載もありました。

2006年12月19日発売の『女性自身』での夫への直撃インタビューでは夫自身がこれを完全否定しています。

桜田淳子さん~近況

エッセイ集などを発売

2006年

2006年11月24日には14年間の沈黙を破り、エッセイ集『アイスルジュンバン』(集英社)を発売しました。

発売後は良妻賢母ぶりに共感する声もあがる一方で、合同結婚式に参加し、マスコミから広告塔として騒がれたことについて一切触れていないとして、ワイドショーや週刊誌記事では軒並み批判的な論調が目立ちました。

のちの『婦人公論』(2007年1月22日付)のインタビューでは、このことについても語っており、著書の中で触れなかったことに「隠したつもりはありません、ただ(教会のことについて)発言することでまた泥仕合になるのは避けたい、今の私は甘受したいと思います」と答えています。

同インタビューでは仕事復帰をほのめかす発言もしており、「桜田淳子 芸能界復帰へ」の憶測報道が飛び交いました。

2007年

2007年には歌手時代に発表した全19枚のオリジナルアルバムがCDで復刻され、購入特典のメッセージ入りCD「声の手紙」(非売品)の中では、かつてのオリジナル作品3曲を間に挟む形で語り、およそ10数年ぶりに肉声を披露しています。

2008年

2008年には、過去のライブアルバムもCD化され、これに1979年にNHKで放送された『ビッグショー/桜田淳子 明日への序曲』のDVDを加えた『桜田淳子BOXスーパー・ライブ・コレクション』が発売されています。

相澤社長のお通夜に参列

2013年

2013年5月28日、かつて桜田淳子さんを寵愛し、桜田さんも芸能界の父として慕っていたサンミュージック代表取締役会長 相澤秀禎氏の通夜に参列し、16年半ぶりに公の場に現れました。

桜田淳子と旧統一教会の45年…全盛期の19歳で入信、10年以上隠しながら34歳で合同結婚式へ(日刊ゲンダイDIGITAL) - Yahoo!ニュース
 旧統一教会の信者であると会見でカミングアウトし、ソウルの合同結婚式に参加した桜田淳子。当時34歳。当然のようにテレビのワイドショーに追いかけまわされ、仕事はなくなり、表舞台から消えた。 「199

同年10月23日、デビュー40周年を記念し、11月26日には銀座博品館劇場にて「Thanks 40スペシャル〜ファン感謝DAY」を開催し約21年ぶりにファンとの交流を果たした。

2071年

2017年4月7日、銀座博品館劇場で開催された『スクリーン・ミュージックの宴 with ピアニスター・HIROSHI』にゲスト出演し、自身33枚目のシングル「化粧」など全5曲を披露、チケットが数分で完売するなど、現在も衰えぬ人気を証明しました。

2018年

2018年2月7日、桜田淳子プロジェクトを発表。同年2月25日に35年ぶりの新録アルバム「マイ・アイドロジー」をリリースしました。

同年3月21日にベストアルバム「Thanks45~しあわせの青い鳥」をビクター・エンタテイメントより発売、3月27日に銀座博品館劇場にて「”マイ・アイドロジー”スペシャル~ありがとうのかわりに」を開催しました。

まとめ

今回は桜田淳子さんの生い立ちや芸能界デビュー、芸能活動休止に至るまでに触れてみました。

昭和を代表するアイドル・桜田淳子さんは実は19歳から「旧統一教会」に入信されていたことがわかりました。

歌も演技も上手な桜田淳子さんの芸能界復帰を願う声は一部で上がっていますが、果たして実現となるのか今後を注視したいところですね。

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